ミヤコワスレの由来は
鎌倉時代に遡ります。
昨年の大河ドラマの終盤におこった
承久の変。
後鳥羽上皇が北条義時に敗れ
隠岐へと流され、
後鳥羽上皇の息子の順徳天皇は
佐渡に流されました。
順徳天皇はこの歌を詠み、
「いかにして契りおけん白菊を都忘れと名づけるも憂し」
佐渡の島で、父帝が愛された花を
【都忘れ】をと名付けるとは
いかなる因果のめぐり合わせかと
嘆じています。
この花は時代とともに品種改良がなされているようです。
「ミヤコワスレ」の言葉の由来。
日本の歴史の奥深さに
思いを馳せることができそうです。